「サンバ」と聞けば派手な衣装を着て、陽気で軽快なステップで踊っている美女のイメージが湧くのではないでしょうか。サンバカーニバルは国内各地でも開催されているので、私たち日本人にとっても馴染みのあるダンスです。
しかし、そのサンバの歴史的背景を知っていますか? おそらく知らない方も多いのではないでしょうか。本稿では、意外と知られていないサンバの歴史と音楽についてご紹介します。
もくじ
19世紀末、ブラジル北東部の港湾都市のサルバドール(当時の都市名はバイーア)がサンバ発祥の地と言われています。バイーアは元々ブラジルの首都であり、多くのアフリカ人が奴隷として連れてこられ、住んでいた地でもあります。
しかし、1888年に奴隷制度が廃止され、奴隷から解放された多くの人々はバイーアからリオ・デ・ジャネイロに仕事を求めて移り住みました。リオに彼らが持ち込んだ打楽器のみの演奏のバトゥカーダとブラジルのジャズと称されるショーロやルンドゥーなどの別の音楽が混ざりサンバが出来上がっていきました。
さらに、そのサンバとヨーロッパ移民が持ち込んできたポルカ(チェコの民俗舞踊)やマズルカ(ポーランドの民族舞踊)といったヨーロッパ民族舞踊とが融合し、ダンス音楽としてのサンバが完成しました。
ダンスとしてのサンバは4分の2拍子の軽快で陽気なダンスです。基本的には即興による踊りであり、音楽を演奏している周りで輪を作って踊ります。サンバはブラジルの大衆文化として広まりました。
しかし、現在のリオのカーニバルのような大規模なカーニバルが開催されるまで、数々の障壁があったようです。1920年代、サンバは政府から治安を乱す存在として認識され規制されていました。
その規制が届かないファベーラ(リオのスラムの名称)でしかサンバは踊られていない状態だったそうです。しかし、それでもサンバは大衆の文化として生き残り、1935年の当時の大統領がサンバに対する規制を解いて、公式にサンバカーニバルが開催されるようになりました。
1940年代にはサンバはブラジルの文化として育成支援を受ける対象になり、現在のような本格的なカーニバル形式でのサンバが始まったのです。
▼本場ブラジルのサンバカーニバルの様子をご覧下さい。
さすがに本場ブラジルのサンバカーニバルといったところです。かなり大規模な演出が目立ちます。動画を通してみても現地の熱気が伝わってきます。
一概には言えませんが、打楽器と弦楽器があればサンバのリズムを奏でることができます。特徴的なのはやはり打楽器の種類の多さで、スルド、へピニキ、タンボリン、カイシャといったドラム、カウベルのようなアゴゴ、振って音を出すガンザ、ブラジル風のタンバリン・パンデイロといった種類が挙げられます。
弦楽器は小型の4弦楽器・カヴァキーニョ、6弦のガットギター(ヴィオラォン)、そしてベースラインを担当する7弦のガットギター(ヴィオラォン・セッチ・コルダス)が主に使用されています。
サンバの人気はブラジル国内のみならず、海を越えて日本にまで到達しました。サンバカーニバルは日本各地で開催されていますが、日本最大規模なのが浅草サンバカーニバルです。
かつて浅草は映画館や落語の寄席などの娯楽の中心の街でしたが、1970年代の浅草の街は活気を失い始めていました。そこで、街おこしの一環として浅草サンバカーニバルが発案されたのです。1981年に初めて浅草サンバカーニバルが開催され、現在では50万人が訪れる日本最大のサンバカーニバルとして知られています。
■開催日時
2017年8月26日午後1時~6時
■開催場所
東京都台東区の馬道通り~雷門通り
■参加条件
浅草サンバカーニバルは大規模なチームが参加するS1リーグと小規模なチームが参加するS2リーグの2構成となっています。
S1リーグ
・構成人数は150名以上で上限は300名
・アレゴリア(装飾山車)と音響車の用意
・自チームによる実演ダンス・演奏・歌唱
・自チームオリジナルのサンバ楽曲
S2リーグ
・構成人数は30名以上150名未満
・自チームによる実演ダンス・演奏・歌唱
▼浅草サンバカーニバルの様子はコチラ
サンバのリズムながらも、日本的な演出をふんだんに取り入れたサンバです。浅草サンバカーニバルは日本ならではのサンバカーニバルとして発展してきました。
ブラジル発祥のサンバですが、日本に伝播して以降、独自の発展を遂げてきました。50万人もの来場者が訪れる浅草サンバカーニバルにも是非足を運んでみては?
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