ピアノのレッスンを受けている人なら必ず聞いたことのある「バイエル」。受けていない人も名前くらいは聞いたことがあると思います。
バイエルといえばピアノの教則本ですが、そもそもこれは何なのでしょう?
どうして日本で普及しているのでしょうか?
最近では、バイエルを用いてレッスンをすることに賛否両論あるようです。今回は、様々な視点からバイエルについて解説していきたいと思います!
バイエルはどうして日本で普及しているのでしょうか?明治時代に遡ることから話は始まります。
伊沢修二(1851~1917)という日本の西洋音楽の父と呼ばれている人がいます。彼は明治8年の1875年に師範学科取調員として、マサチューセッツ州の学校に渡米し学びました。
そこで音楽教育をルーサー・メーソン氏 から学ぶのですが、その時に与えられ指導に使用されていたのが「バイエルピアノ教則本」 であったと言われています。
日本に帰国後の1879年に彼は東京師範学校の校長となり、音楽取調掛という係に任命されます。そして翌年の1880年にアメリカからメーソン氏を招き、日本の音楽教育に西洋音楽を取り入れていこうと動き出したのです。
メーソン氏は来日する際、バイエルの教則本、唱歌集の楽譜、音楽教科書など79冊を持ち込んだとされています。
さらに10台のピアノと自身のピアノ1台を持参しました。メーソン氏は1882年に帰国するまで、伊沢氏と一緒に音楽教育の普及と日本における西洋音楽の基礎を築き上げました。
ということでバイエルが日本に入ってきたのは約130年以上前になります。ヨーロパの西洋音楽の基礎は、アメリカを経由して普及したということですね。
ちなみに、メーソン氏が日本へ持ち込んだピアノの1つに、アメリカの名器クナーベのアップライトピアノがあります。これは現在、東京芸術大学に所蔵されています。
それでは、いったいバイエルはいつ出版されたのでしょう?
グローブ音楽辞典によると1851年とされています。
しかし実際のところはいまだによく分かっていないようですが、バイエルが歴史のある一冊であることがお分かりいただけたと思います。
130年以上も前に生まれた1冊が今もなお現役であることに驚くばかりです。
続いて後編では、現代ではどのようにバイエルが扱われているのかについて触れたいと思います。
参考文献/「バイエル教則本初版本の研究」、安田 寛・多田 純一・長尾 智絵、奈良教育大学
参考URL/「日本ピアノ事始め」日本ピアノ調律師協会、http://www.jpta.org/musicfair2001/index.html(2017年1月21日)